名コンビの作品
ハリウッドとの距離
「赤い砂漠」「欲望」「ある女の存在証明」などの傑作を残した。特に「赤い砂漠」における沈欝で冷静な映像は、若かった私を映画の道へと進ませたもののひとつである。イタリアン・ネオリアリズムの映画にも無かったあの暗鬱で荒涼とした風景は、モニカ・ヴィッティの物言わぬエロチシズムを際立て、当時、刹那的な生活を送っていた私の心を強烈にとらえた。そのノウ・パルマも今や73歳の老境に至り、こんなにも楽しい、人生を謳歌するような作品を撮るのだから、世の中は善くしたものである。
そのノウ・パルマとアレンのコンビは約10年前に始まる。最初の作品は「ハンナとその姉妹」で、その後、「ラジオ・デイズ」「母たち、妻たち」「ブロードウェイと銃弾」「魅惑のアフロディーテ」と秀作が続く。制作年を見て気づく人もあろうが、「ラジオ・デイズ」以降、コンビに空白がある。その間、アレンは88年から89年にかけて「ニューヨーク・ストーリー」「ウディ・アレンの重罪と軽罪」「私の中のもうひとりの私」を制作しており、イングマル・ペルイマン作品で名高いスヴェン・ニクヴイストというヨーロッパのカメラマンと仕事をしている。終始、ハリウッドとは距離を置いた映画作りをしてきたアレンは、推測ながら、その当時、ヨーロッパのカメラマンとの相性を測っていたのではなかろうか。